「国家」と仮面ライダービルド

英雄と国家

英雄と書いて「ヒーロー」と読むのなら、それが自然「国家」なるものと密接不可分であろうことは容易に想像がつく。

かつて日本でも「爆弾三勇士」的な英雄が国家のために増産された過去がある。むしろ戦後はその反動かヒーローものと国家はかなり区別された形で描かれてきた。

諸外国を見ればどうかというと、マーベルコミックスの『キャプテンアメリカ』なんかに典型的に、国家のために戦う、というのがやはり一つ「英雄」の条件にある。もちろん背景には、アメリカが今なお「戦争する国」であって、国のために戦う者を英雄とする構造が社会的に生き続けているから、というのも言えるだろう。

そうなったとき、日本の「英雄(ヒーロー)」と国家の繋がりは、かなり特異なもののように思われる。

まず、特撮ヒーローものの起源を(あくまで「ヒーローもの」の)「ウルトラマン」に求めた場合、ウルトラマンは当然宇宙からやって来た語らぬヒーローである。その助力者組織としての科学特捜隊は国際機関であって、特定の国家に与するわけではない。

どのようにヒーローは国家と向き合ってきたか

ウルトラマンという存在を考える上で大切なのは、大きく2点あるだろうと思う。

第一に、ウルトラマンは圧倒的な「外部」の人間であるということだ。いわゆる戦争における「英雄」というのは、爆弾三勇士よろしく「内部」の人間が「外部」との戦いの中で「内部」のために散る、という構造を持つ。しかしウルトラマンでは「外部」ではない。ウルトラマンが何者であるかはかなり怪しく、何よりも我々「内部」の人を悩ませるのは「ウルトラマンが地球を守ってくれているのは善意に過ぎない」という点である。

例えば爆弾三勇士であれば、自分たちが死ぬことで日本のためになる、というように考えられるかもしれない。しかしウルトラマンであればどうか? ウルトラマンは「なぜか」地球を選んで地球を守ってくれているのであって、そこにはいつも不満が付きまとう。

むしろそうした存在と「内部」の私たちを繋いでくれているのが「変身者は人間である」という事実と、科学特捜隊の存在である。

仮面ライダーではどうか? 仮面ライダーの敵との距離の近さは言うまでもない。即ち「仮面ライダーがなぜ正義の味方としていられるのか」というのはかなり怪しい命題ということになる。

そのとき我々は「仮面ライダーは真っ当な人間であろうとして人間を守るのだ」という点に気が付くことで、なんとかその恐れから立ち直る。

つまり戦後の日本の特撮ヒーローとは「なぜ私たちを守ってくれるのか?」というハラハラした不安と共に、それでもヒーローがやはり私たちを守ってくれる、という構造の上にあるのであって、「国家」というよりどころ、即ち「国家のために戦う」という明確な動機は、極めて「日本の特撮ヒーロー」らしくはないと言えるのである。

仮面ライダービルド」ではどうか。

仮面ライダービルド』では日本が三つの国に分裂してしまっている、という世界観の中で物語が進む。これには『三国志』の影響やかわぐちかいじ氏の漫画作品『太陽の黙示録』の影響が指摘されているところであるが、ここではあえて深くは触れまい。

何より問題なのは、本作において、仮面ライダーが「国家のために戦う」という構造である。

当初私はこの作品における戦争の描写について次のような評価を与えていた。

平成1期には描かれていた仮面ライダーの私闘的側面は、2期には巧妙に隠されてきたのだ。 さて、そこで〝戦争〟である。 「仮面ライダービルド」における戦争は、あまりに自分勝手な動機で始まる。突然の北都・西都からの宣戦布告。圧倒的な蹂躙。どうにも理解されない。これこそ、仮面ライダーの私闘的側面が拡大されて描かれたのであり、北都との代表戦こそ象徴的にそれが再現されているのではないか。

仮面ライダービルドと戦争について - 特撮の論壇

 これは仮面ライダーでは「自らが敵と同類ではないことを証明するために戦う」という私闘としての側面が存在することを指摘したうえでの文章だ。しかしこれを書いた時点では、仮面ライダーは国家公認では戦っていなかった。

この後、仮面ライダービルド仮面ライダークローズは東都のために戦い、そればかりかあるまじきことに代表戦に出場することになる。

代表戦は戦争描写が長く続くのも困るので、この辺りで決着をつけておこう、という魂胆だったのかもしれないが、むしろ「兵器」としての仮面ライダーの側面を強調することになってしまった。

ヒーローは兵器か

考えてみれば、そもそも「仮面ライダー」なる存在は兵器ではないのか。この問いは、「ウルトラマン」「戦隊ヒーロー」に拡張しても問題あるまい。

結論から言えば、「兵器かもしれない」ということになる。

しかし問題なのは、彼らが「意図せずして」兵器になってしまっているのであって、むしろその悲哀故に「正義の振る舞いをしよう」と考えているのである、という点だ。

それが本作ではすっかり忘れ去られてしまってる。

『ビルド』では仮面ライダービルド仮面ライダークローズは自ら「東都政府のために」戦うことになる。つまり自ら「兵器」になっていく。

時代遅れの懐古趣味的な言い方をあえてすれば、「そんなのは仮面ライダーじゃない」ということになる。