「仮面ライダービルド」における構造分析の備忘録
「仮面ライダービルド」は放送中である。なかなか評判は振るわないらしいが、確かに大人が見ればワクワクするストーリー展開であるし、少しライダーを齧っただけの私でも〝仮面ライダーらしさ〟を感じる。
おそらく放送終了後には一応作品全体を総括して何かしら書くことにするのだろうが、そのための小括としてここにいくつかの点をメモしておきたい。
自分を殺さなければならない仮面ライダービルドの悲哀
仮面ライダービルドの変身者は桐生戦兎である。しかしこの戦兎の正体はどうやら葛城巧であるらしく、この葛城巧はライダーシステム云々、即ちこの〝悪行〟のきっかけでもある。
つまり戦兎は、断絶され顔も違い記憶さえ持ちえない過去の自分を敵として、その過去の自分を打ち倒すことで自分自身を手にしなければならないという存在である。
しかしそれだけでなく戦兎は、到底自分自身とは思えない自分を背負いながら、その過去の自分の贖罪を求められる。
この贖罪は〝科学の平和利用〟という甘美な響きに取って代わられて、〝科学〟が〝平和〟のために存在することを証明する〝科学者〟としての立場とリンクすることになる。ここ数話は科学者らしい描写が見られないのが残念なところであるが。
父親殺しを命題とする仮面ライダークローズ
仮面ライダークローズは当然2号ライダーになるわけだが、ここ数年、2号ライダーが闇落ちするというのが典型パターンになっている。
「仮面ライダードライブ」における仮面ライダーマッハ、「仮面ライダーゴースト」における仮面ライダースペクター、「仮面ライダーエグゼイド」における仮面ライダーブレイブ。
事情は違えど、一時的に敵の力に見せられ、或いは敵に与する2号ライダーは、1号ライダーの敵として存立することで、その悲哀を増す。
仮面ライダークローズに変身する万丈龍我が人間ではないことは先日明らかにされたところであるが、これは種々の意味を持つ。
まず、万丈龍我がエボルトの遺伝子の一部の影響を受け継いでいるというのがポイントになる。いわば父すら意識しなかった私生児、ではなく、息子すら意識しなかった第二の父親、ないし第三の(遺伝的)親としてエボルトが存在することで、龍我とエボルトは疑似的な親子関係を結ぶことになる。
仮面ライダーにおいて登場人物が父親を殺す必要がある、或いは父親を克服する必要がある、という例はかなり多く、今回もそのうちの一つであって、龍我は今後疑似的な父・エボルトを克服することが出来るかというのが命題となる。
父の克服という点で言えば氷室幻徳もまさにそうなるわけだが、父を失った彼には人間的に成長することが求められる。
国家と仮面ライダー
特撮におけるヒーローは、それが人智を超えて強力であるからこそ、ある国家権力に与することがないよう最大限の配慮をしてきた。
例えば「ウルトラマン」シリーズでは、ウルトラマンたちはあくまで変身者の意思によって変身する上に、その変身者が何らかの組織に属していたとしても、その組織は国際機関として定義されることで、国家権力に与することを避けている。
「ウルトラマンコスモス」におけるチームアイズを含めた民間機関SRCは度々政府直属の防衛軍と対立しており、ここでもあくまで国家権力に従わない様が描かれる。
もちろん、国家権力の側にありながら国家権力を批判するということも可能ではあるし、例えばアニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」なんかは、主人公・常守朱がシビュラシステムに従って(機械仕掛けの)正義を執行しつつも、シビュラシステムそれ自身に批判を向けるということをやってのけている。
しかしこれをやるには相当な体力が必要で、日曜日の朝、子供向けにやるには重すぎる。
その結果、仮面ライダービルドとクローズが東都政府に与し、その〝兵器〟と化したとしても、国家権力に与したことそれ自体は正当化できていない。
その後、グリスが北都政府代表として現れること、西都政府がそのまま難波重工とニアリーイコールであることによって、陣取り合戦的な構図の中でそれが正当化されている節はあるものの、〝国家権力と組んで仮面ライダーが戦った〟という違和感はある。
「仮面ライダードライブ」の主人公・泊進ノ介も確かに警察官であり〝国家権力〟側の人間ではあるのだが、彼が警察からむしろ指名手配されることによって一定の距離感を明かしている。その一定の距離感は物理的にもあって、あくまで特状課が警視庁の庁舎内に行かないことでも、国家権力との距離を計っている。
こうした事情から、今後着目したいのは以下の点である。