仮面ライダービルドと戦争について

 韓国人でありながら仮面ライダーに親しむという人のツイートをきっかけにして、というか実際にはそれ以前から仮面ライダーが戦争を描くということについてあちこちで取り上げられてきたのだろうが、その問題が明るみに出たと思う。

当初これについてはTwitterで「ビルドはなかなかうまくやっていると思う」というようなことをツイートし、それについて深く語ることは避けようと思っていた。まだ終わっていない作品に、いずれの視点にせよ、評価を下すようなことは出来るだけ避けたかったからだ。しかしながら以下のブログの記事を、たまたま目にした。

戦争をテーマにしたことが良いと思うか、悪いと思うか、踏み込んだと思うか、踏み込み方が浅はかだと思うかは、個々人の感想によります。こういった感想はどうしても肝心の子供の理解の程度を不在にして交わされてしまうのですが、それでも、同じ作品を観る人たちの意見交換そのものは、有益だと思います。

『仮面ライダービルド』が戦争をテーマにしたこと、またその描写が「浅はか」という意見への雑感 - ジゴワットレポート

 これは確かにそうだろうと思う。これを受け、曲がりなりにも仮面ライダーに触れてきた一人として、一応考えていることをメモ的に書き連ねておくことも、悪くないのではないかと考えた。もちろん終わっていないから、作品が終了した時点で意見は変わるかもしれないから、あくまで現時点の随想である。

仮面ライダーは子供向けか

仮面ライダーは近年、実際には極めて重たいテーマを連続して扱ってきた。果たして子供がそれを見て一体どれほどを理解できるのかと思うこともないではない。これについては特撮の脚本を多く手掛けてきた小林靖子さんの言葉に耳を傾けるべきだろうと思う。

──ちなみに先ほどのメインターゲットのことですが、メインから外れる大きいお友だちもたくさん見ていますよね。そういう大人に対する目配せみたいなことは意識されていますか。

小林 それは特にないです。ただ、幼稚園児を排除するということはぜったいにないとして、それにプラスして小学生も見てくれないかなと思ってちょっと大人っぽくしたりはしています。でも、なかなか見てくれないんですよね。(特撮からの)卒業が早まっているというのもあるし、ゲームとかほかにおもしろいものがいっぱいある。ライダーのほうは少し年齢が上がっても見るんですけど、戦隊は難しい。アニメは見るけど、「特撮は幼稚園児の見るもの」というイメージがあるのかもしれないです。大人は特別意識しなくても好きなひとは見てくれるので、そこは心配していないですね。*1

 つまり、脚本家としては、別に大人の視聴者を意識していない。想定しているターゲットは幼稚園児。せいぜい小学生まで。大人に関しては、好きな人は見るだろうという程度で、それ以上深いことは考えていない。

これは個人的な特撮への理解と違うものではない。特撮はあくまで子供向けとして作られているし、だからこそ良いのであって、それを大人が見るからこそ楽しめる、という側面すらあるのではあるまいか。

さて、一方で、近年の仮面ライダーが大人向けになりつつあるのではないか、という気がする。そもそも仮面ライダーとは、初代「仮面ライダー」以後はそこから派生した言ってみれば〝二次創作〟であった。しかし近年はそれが〝三次創作〟になりつつあるのではないか。現在の「仮面ライダービルド」にしたところで、その作品への「仮面ライダーW」の影響は計り知れない。仮面ライダーシリーズが、過去の作品へのリスペクトを孕んだオマージュに富んできているのではないか、それに気づくかどうかで楽しみ方が大きく変わってくるのではないか、と思われるのだ。

しかし一方でこれは、その作品のストーリー自体が大人向けになりつつあるということを意味しない。あくまで仮面ライダーは今も、子供向けだろう。

戦争をいかに描くか

仮面ライダーは戦う。それは過去何度か記事にしてきた側面もあるが、その理由とは何よりその仮面ライダー自体の位置にあるのではないかと思う。

つまり、外部に存在する敵と内部に存在する市民。仮面ライダーは市民であるはずなのに、極めて外部に接近する、いわば境界・周縁に存在する。何もしなくては、そのまま外部に突き放されてしまうという遠心力に対して、彼の信じる〝正義〟的な行為によって、内部に存在し続けようとするのだ。

簡単に言うと、仮面ライダーは悪の敵と性質が近しいから、正義のヒーローであろうと努めることで、敵との距離を保つ。

仮面ライダーが正義のヒーローであり、仮面ライダーシリーズが勧善懲悪の番組である、というのは全くの誤解である。この構造から分かるに、仮面ライダーの戦いとはいつも利己的なものであって、それが偶然に正義性を帯びることがある。

しかしここ数年の仮面ライダーでは、それが明白には描かれてこなかったように思う。

仮面ライダードライブ」では主人公の泊進ノ介は警察官で、その職業によって行いが正義に適うはずだという根拠とされる。「仮面ライダーゴースト」では主人公の天空寺タケルは寺の息子である上に、自らが生き返るため、という絶対的な動機のもとに戦う。「仮面ライダーエグゼイド」では主人公の宝生永夢は医者であり、患者を救うという名目のもとに戦う。

例えば平成1期には描かれていた仮面ライダーの私闘的側面は、2期には巧妙に隠されてきたのだ。

さて、そこで〝戦争〟である。

仮面ライダービルド」における戦争は、あまりに自分勝手な動機で始まる。突然の北都・西都からの宣戦布告。圧倒的な蹂躙。どうにも理解されない。これこそ、仮面ライダーの私闘的側面が拡大されて描かれたのであり、北都との代表戦こそ象徴的にそれが再現されているのではないか。

国家が分断される悲しみ、〝戦争〟の理不尽さ。それを、日曜朝の30分の子供向け番組で描くのは難しかろう。しかしどうだろうか、本来〝戦争〟に模範解答などないはずではないか。瓦礫の中で泣きわめく人々のシーンを繰り返せば満足なのか。或いは朝鮮戦争の再現のように描けば良いのだろうか。

この作品は、あくまで〝戦争〟のある側面を描いたに過ぎない。「この作品は」、しかしこれまで描かれてきた仮面ライダーの戦いと、この〝戦争〟は何が違うというのか。

むしろ、第21話の、桐生戦兎の嗚咽交じりの謝罪などは、その描くべき点を確かに描き、仮面ライダーに潜む独善性・利己性を明かしたのではないか。

こうした理由より、私個人は、「仮面ライダービルド」が戦争を描いた試みは仮面ライダーの性質に極めて適合しているし、その描き方も、見る人が見れば〝物足りない〟だろうが、模範解答が存在しない〝戦争〟のある一面をよく描いていると考える。そして、それがこの先も続くことを祈っている。

*1:小林靖子 聞き手・構成=上田麻由子「生き生きとした“キャラクター”─存在と時間の技法─」『ユリイカ 9月臨時増刊号』第44巻第10号 2012年8月 pp.107-108